ハラスメント研修の前半では、行政機関が作るハラスメント研修用の資料を使っています。
この国では標準を作るのは役所ですから。
いや、世間がそう思って、とりあえず信じますから。
で。私が説明するのは、「これがとりあえず標準的なハラスメントの考え方です」ということ。
ハラスメントの被害者がスマホで検索すると、こういった資料が、さも当然のごとく目に入ってきますよ。
で。標準的な説明を終えると、こういう感想をぶつけられます。
「どこからハラスメントになるのかを明確にしてください。」
で。「そういうものじゃありませんよ」と私。
役所の資料は「ハラスメントを予防する」という前提だから、「これはハラスメント、これは違う」という内容です。
「それは無理ですよ」と私。
役所の発想では、「このバカチンが!」はパワハラだそうで。
私の発想では、「金八先生がそれを言ってもパワハラではない。」
ハラスメントかどうかは、その人の心理状況でどう感じられるかによる。
それは、セリフで使う単語によって区別できることではないのです。
ならばハラスメントをどう防ぐのか?
ムリでしょう、完全には。
不愉快にさせないよう努力していることが大事なんですが、伝えたいことを遠慮したらいけません。
そして、不愉快だと感じた人は、それを相手に伝えましょう。
「あのう。今の言葉傷つきました。」
「え。そうなの? どの部分だった?」
そういう会話をしましょうよ。
それではだめなんですか?
なぜですか?
それが人の精一杯ではないのですかね。
私のハラスメント対策は、ハラスメントの予防ではなく、「不愉快に感じたあと、どう許しあうか」です。
ハラスメントに対して絶望させないことが大事なのです。
人は完璧ではないのに、どうして完璧を求めるのか。
どうせムリなのにね。