明治後期の風俗営業 自由廃業と公娼制度


明治時代の新聞記事を元に、娼妓の廃業騒動の経緯(事実)を眺めてみます。以下は新聞記事を要約してかなり短縮したものです。

明治33年9月5日の二六新報より 
    〜 娼妓「綾衣(あやぎぬ)」が二六新報に投書

吉原の娼妓「綾衣」という者から、娼妓を廃業したいので助けてほしいとの投書が二六新報(当時の有名な反政府系新聞社)に寄せられた。
 この当時は、借金を完済しなければ娼妓をやめることはできなかった。これより28年前の明治5年に「娼妓解放令」が発布され、遊女の奴隷的拘束は禁止されていたが、政府に実行する意思がなかったとみえて(背景に司法省と大蔵省の対立があったと思われる)実際には適用されなかった。 そして娼妓たちの現実においては借金を完済するどころか、営業利益を楼主にピンハネされ、いっそう借金がふくらんでしまうケースも少なくなかった。
 しかし公序良俗に反する契約は、いかに当事者の意思とはいえ無効であり、売春営業は反社会的な営業であるという、現代では当り前になっている法理論をめぐって、司法、行政、新聞、学者たちがさまざまに論議を交わしていたのが当時の実情だった。
 娼妓契約の有効性を信じる者は、売春自体は良くないことであるが、娼妓契約は娼妓と客との契約ではなく貸座敷営業者と娼妓との営業契約であるから問題はないとか、政府が娼妓営業の許可を与えているのだから、私娼(非公認の娼婦)はともかく、公娼については公序良俗に反するはずがない、などと主張していた。
 当時は娼妓が娼妓営業(いわゆる売春)をしようとする場合は娼妓ひとりひとりについて警察の許可が必要で、警察の許可を得ている貸座敷でのみ営業することが認められていた。そしてもちろん楼主たちは娼妓たちの自由廃業を認めるはずがなく、また、娼妓の街中への出入は制限されていたから、もし逃亡すると警察に処罰されるおそれもあった。そこで綾衣は人権擁護をうたう当時の新聞社に救いを求めたのである。

 

二六新報 社員を吉原に派遣

 新聞社は社員を吉原の新万楼に派遣して綾衣との面会を申し入れ、楼主側はいろいろ理由を設けて拒否しようとしたものの、どうにか綾衣と面会することができた。妓夫(「ぎゅう」と読むらしい。
 客引きや娼妓の管理をする男)が監視する中、綾衣は娼妓廃業の意思が固いことを涙をこぼしながら語った。娼妓を廃業するには警察に廃業届をだせばよいのだが、娼妓は遊郭の外に出ないよう常に監視されているので届出をすることができない。
 届出は新聞社社員に代理を頼むことにすればよいが、問題は警察の対応であった。娼妓取締規則では廃業届が受理されるためには楼主の承諾を証する印が必要なのである。ただちに楼主に調印をもとめたが当然拒否され、三業取締事務所にかけあったがここでも楼主の印がなければ応じられないと断られてしまった。

 

※三業取締事務所 

  〜 貸座敷組合、引手茶屋組合、芸妓組合の三者を取り仕切っていた業界組織。

 

警察署 内務省を無視

 そこでやむなく社員は浅草警察署を訪れ、楼主が調印しなかった経緯を説明して綾衣の廃業届を提出したが、応対した警部は「楼主の印がなければ方式に合わないので受けつけられない」と言う。社員は、内務省通達によれば印がなくても問題が無いと主張した。実は娼妓契約の有効性を否定する判決がちらほら出始めており、これを見て内務省では省議の結果、娼妓の自由廃業を認め、廃業届出の際に楼主等の印がなくても有効であると決定し、通達を出していた。

つまり、貸座敷営業者等が廃業届に印を押さないときには、その理由を付記して届出すれば受理されるということである。内務省は当時、警視庁の上部機関であるから浅草警察署は印がなくても廃業届を受理しなければならない。
 しかし当時の警視庁は国家直属警察としての威信に頼るところが強く、内務省と対立することもしばしばあったようである。廃業届が受理されれば、娼妓はすでに娼妓営業をする免許を持たないのであるから、楼主が娼妓営業をさせるために身柄を拘束する行為自体が違法になってしまう。しかし警察署は、方式に合わない、の一点張りで届出を受理しようとしなかった。その後郵便で届出書を送付したが同様の理由で受理されず、書類一式を送り返される始末であった。

 

再提出 そして騒動発生

 一旦、引き返したものの、日を改めて再び、二六新報社員であり弁護士である桜井氏が再提出したが却下され、楼主等の印がない理由について付記してもう一度浅草警察署に差し出した。同時に、すでに廃業届出をしたのだから自由の身であるとの見解にもとづき、社員3人が新万楼へ綾衣を迎えに行った。
 午前11時半頃、新万楼に到着すると社員たちは一室に導かれ、そこで綾衣との面会を申し出たところ、風体の怪しい男たち3人が「娼妓で飯を食っているのに妨害をしてはいけません」と怒鳴り、一二の押し問答の末、男どもは社員に襲い掛かり、これを見て五、六十人の無頼漢たちが踊り出て「ぶん殴れ」と社員たちにとびつき、それまで楼外にいた数百のゴロツキたちも闖入して、社員たちを滅多打ちにしたのである。
 3人の社員の身の上を案じた二六社の同僚たちは、後から現場に到着し、警察署に急報した。そのとき現場に急行した巡査のひとりは、二六社員と見間違えられたのか、暴漢3名のために左足をねじられ足はブラブラになってしまったという。
 警察は、二六社員たちに対し今後新万楼には行かないようにと説得したが、桜井氏は、このような暴力行為を防止できないとあっては警察を信用することはできないと詰問した。担当警部が官職にかけて責任をとると言うので、では綾衣を警察に召喚して我々と面会できるよう計らってほしいと申し出たところ、警察もこれに応じた。
 そして、浅草警察署において楼主立会いのうえ、綾衣こと中村八重に対してその廃業が認められ、二六新報社員は中村八重を引き取った。ところが警察署の外には無頼漢や野次馬が雲霞のごとく集まっており、あまりに危険な様子であったので、数十名の巡査が万一の際の抜剣の許可を得て社員達一行を護衛して二六新報本社に午後5時、無事到着することができた。なお9月6日、警視庁は次のような規則改正を行っている。

 

明治33年9月6日

警視総監 大浦兼武

貸座敷引手茶屋娼妓取締規則改正

第30条 貸座敷、引手茶屋営業者及娼妓にして願書をなさんとするとき、取締りに於いて加印をなさざるときは、その理由を具し、直ちに所轄警察署に差し出すことを得。

 

つまり警視庁はようやく内務省通達を規則として実施する気になったのである。

 

明治33年9月7日 二六新報より 〜 廃業始末

 吉原では遊郭のために働く集団(百余人)が常に雇われていたらしく、楼主の利益のために乱暴狼藉を働くことがあったが、浅草警察署はこれらの取締りに熱心ではなく、暴力行為が未然に防がれたこともなく、数百人の暴行が行われても実際に逮捕されるのは数名に過ぎない。

 事件(綾衣廃業の)後、貸座敷、引き手茶屋ほかの関連業者達300人ほどが三業取締事務所へ押しかけ、大集会となった。大金を出して手に入れた娼妓を廃業させるなら借金を返させてからのことだ。完済させずに娼妓を連れ出すのは他人を財産を横奪するわけであるから、こちらも手加減することはない、といった議論が交わされた。
 そして、今後は娼妓を廃業に導きこうとする者を脅迫して追っ払うようにする、娼婦廃業に関する新聞は娼妓の手に入らないようするなどの手段が講じられた。また一連の行為が二六新報によるものでありながら、勘違いして救世軍に暴行を加えてしまったことを後悔する向きもあり、仕返しにくることを恐れて、街角に見張り番や無頼漢を置いて警戒した。
 一部の者は二六新報に押しかけて存分に仕返ししたうえ綾衣を奪い返そうなどと謀議したが、この様子が警察にもれたらしく、浅草警察署総出で遊郭内を偵察警戒したため、暴漢たちも手がでなかった。吉原の楼主等数名は警視庁に出頭し、二六社が綾衣を廃業させ浅草警察署が引取りを認許したことは違法であると述べたが、すでに内務省の方針であると説明されて引き返すしかなかった。 

 

その後

 この後、娼妓廃業騒動は全国的規模に広がり各地で混乱を呼びました。火付け役となった二六新報の周囲では暴行や脅迫事件が相次ぎ、警察も充分な対応ができなかったようで、9月11日には「二六社武装−警察に信を置きがたし」と表明し、<政府は一方で海外に出征していながら帝都の治安維持ができないとはふがいない>旨報じています。
 このような状況について政府は本格的な対策を検討しはじめ、明治33年10月2日、内務省より娼妓取締規則が制定されました。これを公娼制度の確立と見て、日本の歴史的な負の遺産の誕生として扱われる場合がありますが、権力が売春を公的に認めるという制度はすでに江戸時代から見られ、明治政府は明治初年からすでに娼妓取締規則や貸座敷規則において娼妓営業を許可制にしていました。
 明治33年の娼妓取締規則は、新制度の確立というよりも、旧制度を若干手直しした程度にすぎません。これは廃娼騒動をきっかけに、娼妓の廃業の自由を確保するために政府が本腰を入れた結果であり、明治5年の娼妓解放令の焼き直しにすぎないとも言えます。いや、娼妓解放令が斬新すぎたとも言えるでしょうか。
 明治初期の司法省は佐賀藩出身の司法卿江藤新平が立ち上げた組織であり、国家による人権保護を推進しようとしていましたが、中央集権の推進を目指す薩摩、長州閥が牛耳っていた大蔵省との対立構造は佐賀の乱、そして西南戦争へと発展してゆきました。なお明治33年のこの規則によって実際にどれほど多くの娼妓が真実の自由を手に入れたかについては、勉強不足のためここでは触れません。
 いずれにせよ、これを機に政府は売春の管理により深く関わることになりました。これによるメリットは、娼妓をより厳しく管理できること、性病予防を徹底し軍隊等への蔓延を防止することだったようです。公娼制度は従軍慰安婦問題とも絡み合い、日本の歴史的汚点として記憶されています。
 戦後GHQの占領政策によって完全に否定されることになりました。面白いことに、終戦直後の時期に、警視庁はGHQに隠れて売買春業者を保護しようと裏で画策したという事実があります。明治33年に内務省に逆らって間接的に貸座敷業界を保護しようとしたように、警察という組織が考えるのは常に現場であり現実であるので、国家レベルの判断や政府の体面などと衝突することがあるようです。

 

娼妓取締規則(明治33年)

 

第一条

18歳未満の者は、娼妓たることを得ず。

 

第二条

娼妓名簿に登録せられざる者は、娼妓稼ぎをなすことを得ず。娼妓名簿は、娼妓所在地所轄警察官署に備えるものとす。娼妓名簿に登録せられたる者は、取締り上警察官署の監督を受けるものとす。

 

第三条

娼妓名簿の登録は、娼妓たらんとする者自ら警察官署に出頭し、左の事項を具したる書面を以って、これを申請すべし。

 一、娼妓となるの自由

 二、生年月

 三、同一戸籍内に在る最近尊属親、尊属親なきときは実母、実父母なきときは実祖父、実父母、実祖父なきときは実祖母の承諾を得たること。

 五、娼妓稼ぎをなすべき場所。

 六、娼妓名簿登録後に於ける住居。

 七、現在の生業。ただし他人によりて生計を営む者はその事実。

 八、娼妓たりし事実の有無、並びにかつて娼妓たりし者は、その稼業の開始、廃止の年月日、場所、娼妓たりしときの住居及稼業廃止の理由。

 九、前各号の外、庁府県令を以って定めたる事項。

   前項の申請には、戸籍吏のつくりたる戸籍謄本、前項第三号第四号の承諾書、及び市区町村の作りたる承諾者印鑑証明書を添付すべし。娼妓名簿登録申請者は、登録前庁府県令の規定に従い、健康診断を受くべきものとす。

 

第四条

娼妓稼ぎを禁止せられたる者は、娼妓名簿より削除せらるるものとす。前項の外娼妓名簿の差k所は、これを申請するものとす。ただし未成年者にありては、前条第一項第三号、第四号に掲ぐる者よりも、これを申請することを得。

 

第五条

娼妓名簿削除の申請は、書面または口頭を以ってすべし。前項の申請は、自から警察官署に出頭してこれをなすにあらざれば、受理せざるものとす。ただし申請書を郵送し、または他人に託して差し出す場合に於いて、警察官署が申請者自から出頭することあたわざる事由ありと認むるときは、この限りにあらず。警察官署において娼妓名簿削除申請を受理したる時は、直ちに名簿を削除するものとす。

 

第六条

娼妓名簿削除申請に関しては、何人といえども妨害をなすことを得ず。娼妓は、法令の規定もしくは官庁の命令により、または警察官署に出頭するがため外出する場合の外、警察官署の許可を受くるにあらざれば外出することを得ず。ただし庁府県令の規定により、一定の地域内に於いて外出を許す場合は、この限りにあらず。

 

第八条

娼妓稼ぎは、官庁の許可したる貸座敷内にあらざれば、これをなすことを得ず。

 

第九条

娼妓は、庁府県令の規定に従い、健康診断を受くべし。

 

第十条

警察官署の指定したる医師または病院に於いて、疾病に罹り稼業に堪えざる者、または伝染性疾患ある者と診断したる娼妓は、治癒の上健康診断を受くるにあらざれば、稼業に就くことを得ず。

 

第十一条

警察官署は、娼妓名簿の登録を拒むことを得。庁府県令は、娼妓稼業を停止し、または禁止することを得。

 

第十二条

何人といえども、娼妓の通信、面接、文書の閲読、物件の所持、購買その他の自由を妨害することを得ず。

 

第十三条

左の事項に該当する者は、25円以下の罰金、または25日以下の従禁錮に処す。

 一、虚偽の事項を具し、娼妓名簿登録を申請したる者。

 二、第六条、第七条、第九条、第十二条に違背したる者。

 三、第八条に違背したる者、及官庁の許可したる貸座敷外に於いて、娼妓稼ぎをなさしめたる者。

 四、第十条に違背したる者、及第十条により稼業に就くことを得ざる者をして、強いて稼業に就かしめたる者。

 五、第十一条の停止命令に違背したる者、及稼業停止中の娼妓をして、強いて稼業に就かしめたる者。

 六、本人の意思に反して、強いて娼妓名簿の登録申請、または登録削除申請をなさしめたる者。

 

第十四条

本令の外必要なる事項は、庁府県令を以ってこれを定む。

 

第十五条

本令施行の際、現に娼妓たる者は、申請を待たずして娼妓名簿に登録せらるるものとす。

 




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 07/08/13 更新

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