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風営法についてやさしく解説

監督行政庁<9>

(1)明治維新の警察

 明治維新の成立直後に近代国家の警察制度として確立したのは旧薩摩藩出身の川路利良でした。
 川路はフランスを視察しましたが、ナポレオン時代にその寵臣だったジョセフ=フーシェが作った警察制度を模範にして、警視庁の設立にあたりました。
 すでに明治4年において東京府は3000人の邏卒(警官)を配備していました。これは同年7月に行われる廃藩置県によって大名や不平士族が反乱を起こした場合に備えて、薩摩の下級士族を中核として組織されました。

 幕末、京都の治安維持が政情安定のカギであったように、また天皇を奪ったものが権力者としての大義名分を手に入れるという現実にも見れるように、帝都の安定と確保は政権維持のために最も重要な課題であったのです。
 警視庁は帝都の治安を維持するというよりは、明治政権そのものを守護する役目を背負って、明治7年に設立されました。そしてちょうどこの年、かつて警視庁の上部機関であった司法省を作った江藤新平が佐賀で反乱を起こすとともに、軍事的に空白と成った帝都の治安維持のため警視庁は政治的に重要な役割を果たしたのです。

 地方警察は各府県令の下に置かれましたが、警視庁だけは別で、内務省の直接指揮のもとに置かれました。もともと警察行政の管轄は民部省と大蔵省の間を行きつ戻りつした後、司法省へ、そして大久保利通が外遊帰国後に創立した内務省の管轄へとめまぐるしく動きます。
 明治初年においては、治安維持よりも内乱鎮圧の手段として、つまり軍事力に準ずる戦力としての役割が大きく、とくに地方に不平分子が存在する状態では、中央政府にとっては地方警察では頼りにならず、警視庁に頼るしかありませんでした。

 実際に西南戦争においては警視庁警視隊が九州士族軍に対し先頭を切って勇敢に戦い、多くの戦死者を出しました。現在では全ての警察は都道府県公安委員会の指揮下にありますが、かつて内務省の外局だった時代の名残として今でも警視庁という名称が残っています。




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