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風営法についてやさしく解説

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風営法の歴史と背景<1>

江戸時代〜幕府と遊郭

 江戸時代の遊郭の存在にもあるように、風俗に対する規制は古くから行われていました。古い時代の男の甲斐性として「飲む、打つ、買う」という言葉がありますが、これに対応して、お酒を飲ませること、賭博をさせること、性的なサービスを提供することは、風俗を害するおそれありとして古来から規制の対象として扱われてきました。
 これら「飲む、打つ、買う」を規制しようとする視点は現在の風適法にも存在しています。江戸幕府が江戸市中の性風俗を吉原に集めて公許したといわれるのは元和3年(1617年)のことだそうです。特定の区域に性風俗を限定しようという発想です。遊郭の「郭」とは城の中の独立した防御施設の意味であって、まさに城郭のような堅固な塀によって外部と隔絶され、遊女の出入は禁止されていました。
 その後、幕府公認の遊郭以外での性風俗営業(いわゆる私娼)が問題となりましたが、幕府も取り締まりには苦労したようで、一定の条件で飯盛旅籠などが黙認されるようになりました。街道沿いで江戸に近い宿場町では泊り客を引くために、こういった性を売りものにする旅籠が形成されやすかったと思われます。

明治維新〜風俗の一新

 娼婦が一箇所に集中せず、街中で散らばって営業する状態を「散娼(さんしょう)」という言い方があります。
 行政が売春を厳しく規制した場合には生じやすい現象です。散娼の場合は取り締まりが難しいという短所がありますが、売買春が公認されているわけではないので、近代国家としての対面は保てます。逆に娼婦を一箇所に集めて営業させることを「集娼」(しゅうしょう)と呼ぶそうです。

 江戸幕府はこの方法をとったわけですが、取締りがしやすく、とくにに治安維持と性風俗管理の面では合理的でもありました。吉原遊郭では犯罪者情報の提供が義務付けられていたそうです。しかし、集娼は公権力による売春の積極的公認という側面を持ち、近代国家としては体面上の問題がありました。とくに明治期には、遊郭で働く女性が借金の返済を名目に強制的に働かされていたという事実が問題となりました。

 明治5年、マリア・ルス号事件における国際裁判の過程において、日本で遊女の人身売買が公認されていることが国際的に注目されたこともあって、同年娼妓解放令が布告され、遊郭における人身売買は法律上禁止されることになりました。ちなみに、この明治初年は日本人の風俗環境が激変した時期です。

 日本人の外国への人身売買禁止、帯刀禁止、富くじ興行禁止(明治1年)、混浴禁止、政府批難や風俗紊乱の出版を規制(明治3年)、華族のおはぐろと書き眉を禁止、死体の試し切り禁止、人体売買禁止、服制一新の勅語、賤民の裸体禁止(明治4年)、天皇が牛肉を試食、江戸府庁が淫奔な劇・芝居を禁止、女相撲禁止、神社仏閣の女人禁制廃止、東京府下で裸体・混浴・春画・性具・刺青厳禁の布令(明治5年)、あだ討ち禁止、闘鶏禁止(明治6年)、東京府が道路や車内での頬かぶり・手拭かぶりなどを禁止(明治7年)。

 以上の用語はおおむね当時使用されていたままで記載していますが、現代人からは想像のつかないような風俗環境や意識の変化があったようです。このように日本人は、かつて国家権力によって根こそぎといってよいほどの風俗大改造をされた経験があって、風俗行政は現代日本のあり方、日本人の人生観や法価値観にまで深い影響を与えてきたと考えられます。

 現代でも日本人が「法律」というものについて、「国民が政府をコントロールする道具」ではなく、「政府が国民を支配するための道具」である、といったような見方をするのは、こういった歴史的な事情を考えなければ説明がつきません。風俗とは、その社会に住む人間を心地よく包み込むものだと思います。それを法律で無理やり変えさせられたのですから、国民が法律に不信を持つのは当然の結果だと思いますし、そのような変化を受け入れてしまった日本人の柔軟性(従順さも含めて)には驚きます。
 

遊女の解放と廃娼問題

 娼妓解放令の発布後、自由の身になった娼妓たちがただちに新たな職につけるとは限らず、女紅場などで女性のための職業訓練が行われたりもしましたが、自由の身に戻ったためにかえって生活に困窮する者も出たようです。
 遊女解放令を受けて遊郭は建前上は消滅しましたが、貸座敷という営業形態にカタチを変えて営業の実態は存続し続けました。明治6年、娼妓渡世規則、貸座敷渡世規則が発布され、遊郭や買春宿は営業場所の指定など各種の制限を受けつつも各地域警察等による営業免許を受けて行われつづけました。
 貸し座敷営業とは、その名のとおり「座」つまり場所を貸す営業であって、娼妓が自由意志で場所を借りて商売をするという形式です。娼妓解放令は娼妓自体の存在を否定するものではなく、本人の意思により職業選択の自由を与えるという意味でしかなかったので、依然として売春営業は存在しつづけたのです。
 また、かつての遊郭以外の業者達も免許を得て営業することができたようで、明治になって貸座敷等の営業はかえって増加したそうです。
売春に対する行政の対応を二つに分けると次のようになります。

@売買春行為を一切禁止するタイプ
 →売買春は地下に潜伏し、結果として散娼になってしまう。

A場所など一定の条件で売買春を公認するタイプ
 →売買春は公的機関によって管理されるが政府の体面上の問題がある。
      
 明治政府は人身売買は禁止しましたが、娼妓の存在については否定せず、一定の地域に限定させたうえで地方警察に監視させる方法をとりました。娼妓営業や貸座敷営業の許可制度は地方行政の中で明治初年から存在してきましたが、1900年に内務省令として娼妓取締り規則が施行され、娼妓は名簿に登録され、より強い警察の監視下に置かれるようになりました。
 これをもって公娼制度と呼びますが、モトは欧米で確立された制度を日本に取り入れたものでした。軍隊への性病蔓延の予防のためと言われていますが、この制度は終戦後の1946年まで続きます。結局20世紀になったところで、一定の場所に限定しながら売買春を公認する「A」のタイプへ転換したことになります。
 公娼に対して、登録されていない非合法の娼妓は私娼と呼ばれました。私娼は飲み屋や新聞縦覧所などをたくみに利用して営業することがあったようですが、それ以外にも興行場、飲食店、ダンスホールまでもが、売買春に利用される恐れありとして規制の対象となりました。興行場及興行取締規則、特殊飲食店営業取締規則、舞踏教授所及舞踏教師取締規則など、業態ごとの許可制度が設けられました。
 このように、本来は性風俗と関係がないはずの場所でこっそり性風俗営業を行う業態が存在し、行政がこれをどうにかして取り締まろうとする関係は、現在の風俗営業許可制度にも影響しています。つまり、本来は性的サービスを行わないはずであるが性的サービスの隠れ蓑になりやすい営業について、健全性を維持するために許可制にするという発想です。
 なお現在は健全性を確保するための許可制度ということになっていますが、戦後の混乱期においては、特殊飲食店等は警察が売春営業を積極的に黙認するための便利な道具として存在したこともあったようです。
   

戦後〜米兵にささげる

 終戦直後の都会では、日本の降伏を知るととともに女性たちが地方へ疎開する姿が見られました。占領軍が上陸した際には、日本人の婦女子はみな暴行陵辱されるに違いないと考えられ、行政によって疎開が指示されるとともに、占領軍の性的手当のためとして、直ちに慰安施設設置の準備がすすめられました。
 日本では戦争の際には慰安婦を戦場に連れて行くことが公然と行われており、占領軍も同様に日本での性的処置が必要であると想像していたのだそうです。政府の命令で民間に設置されたRAA(Recreation and Amusement Association)が「大和撫子の純潔を守る」という掛け声のもとに集めた慰安婦5万人のうち、およそ3万人以上が、戦中に財産や家族を失って生活の道を立たれた女性たちで、彼女等の中には甘言に惑わされたり、人買いにさらわれたりして慰安婦に身を落とし、苛酷な労働に耐え切れず自殺する女性もいました。
 ところが占領軍兵士の間に性病が蔓延したため、GHQは昭和21年1月に公娼廃止を政府に指示し、RAA施設への立ち入り禁止が命じられたため、慰安婦たちは突如街娼として働くはめになり、いっそうの困窮にさいなまれる結果となりました。
 同年二月には娼妓取締規則が廃止され、一転して売春営業は警察犯処罰令に規定された密売淫行為として違法となりました。しかし、こういった動きを先読みしていた警視庁は、都下の娼妓営業者に対して特殊飲食店という名目での売春営業を黙認する手配をし、実際には特殊地域における売春営業はGHQの取締りを受けつつも存続しつづけたと言われます。
 昭和21年11月14日の事務次官等会議において、「私娼の取締並びに発生の防止及び保護対策」と題する決定があり、売春営業を特殊飲食店として特殊地域に囲い込むという方策が決められました。その際に各地で特殊地域として改めて指定された区域が通称「赤線」と言われる区域です。
 一方で、昭和23年5月に警察犯処罰令は廃止され、売春営業を取り締まる根拠法令が消滅しました。つまり、同年9月一日に風俗営業取締法が施行されるまでの間に売春営業を規制する法令の空白期間が生じたのです。
 なお、風俗営業取締法は売春自体を直接禁止する仕組みではなく、売春の温床となりえる飲食店等の営業を許可制とする制度です。
 
※純喫茶という名称 〜 かつて飲食店という建前で売春営業が流行っていた時代には、このような店は「特殊喫茶」とか「社交喫茶」などと呼ばれていました。売春や性的行為に関係の無い喫茶店は、性風俗を行う喫茶店と区別する必要が生じ、「純喫茶」という名称を表示することがあったようです。
 
※戦後の慰安対策の結果として多くの混血児が生まれ、食糧難や差別に苦しみました。多くの混血児達を救ったサンダース・ホームについてご存知でしょうか。
 

売買春に対する思想

作家の与謝野晶子は、その作品「私娼の撲滅について」の中で、私娼を取り締まるのであれば、私娼を必要とする社会的要因を取り除いてからにするべきであり、公娼を保護した上で私娼を取り締まる内務省の方針に異議をとなえています。
 社会的要因とは、男性が複数の女性を求めるという行為が文明社会において肯定され、売春が認められているという日本の文化的実情のことです。
 当時の内務省の方針としては、売春は必要悪であるから、これを積極的に容認しつつ特殊地域に隔離し、人権保護や性病予防に国家が関わるという方式(集娼)をとっていました。だから娼妓を名簿に登録し、一定地域で許可された営業所でのみ娼妓営業を認めることにしたのです。
 さて、現代では売春防止法によって売春を禁止しつつ、性風俗サービス営業を一定の地域に限って認めるという方法をとっています。そして実際には、これら一定の地域が条例改正によって激減し、売春営業はもちろん、店舗営業で行う性風俗サービス営業は新規開業が法律上ほとんど禁止されたに近い状態になりました。
 その影響かどうかはわかりませんが、地域を問わず営業できる無店舗型(派遣先で性的サービスを提供する)営業が流行し、一方では援助交際などの社会問題が起きています。つまり、特殊地域に封印されていた性風俗問題は、パンドラの箱からでてきた魔物のように社会全体に降りかかってきたのです。結果として、集娼から散娼へと移行したと言えます。

  「私は公娼よりも私娼を存して置くことにやむをえず寛容を与える者であるが、それには勿論いろいろの条件を附けたい。第一、公衆の目に触れないように場末の地を限って手軽な待合(まちあい)営業を黙認し、その営業の不徳を自覚せしめて、出来るだけ目立たぬよう隠密にそれを営む心掛を徹底させることが必要である。」 (与謝野晶子)

 待合のような合法営業を装って売春が密かに行われるようにするべきだと言っているようにも読み取れます。そうすれば売春を社会が容認したことにはならないから、売春を当然だと思う感覚が否定され、社会が売春を悪だとみなす風潮が強まる。 それが徹底されて私娼が社会にとって不要になったときに、はじめて売春が撲滅可能になるだろうと考えていました。
 売春を厳しく取りまれば地下に潜伏し、やがて社会全体に影響してしてくることを、ある程度想定していたのかもしれません。
 しかし与謝野氏は現代日本の風俗を見たらどう思うでしょうか。自分の考えがちょっと検討はずれだったと思ったのではないでしょうか。
 売春は法規制の外に潜伏しましたが、売春を悪だとみなす風潮はかつてより強まったようには見えません。国家的対面を維持できたという面では、行政側にとっては好都合な結果だったかもしれません。
 現代において売春を厳しく取り締まるべきと考えている人の多くは、個人の自由の問題を超越して、女性の肉体を売買することを許容する文化そのものの改変を目指そうとする傾向があるように思います。
 このような主張は、一見、非論理的に思えますが、かつて一部の女性たちがあまりに無慈悲な社会の対応のために不幸な目に会って来たことを考えると、私も日本文化そのものについて変革をする必要を理解できないでもありません。
 これとは逆に、性風俗を実質的に統制するためには性的サービスの需要を現実として受け止め、法制度としてある程度のかざ穴(性的サービスが許容される空間)をつくることが必要であると考える立場からは、風俗や文化の否定というところまで飛躍せず、<現実の取り締まり効果>や<個人の選択の自由の保護>、または<現在の風俗文化の肯定>など重視する傾向があります。
 
 たしかに、現代社会において文化を法制度によって変革するということには、私も多少の無理を感じます。 性風俗を汚らしいものとイメージする風潮は現代でも濃厚にありますが、性に対する価値観には大きな個人差があり、性風俗を規制する方法について国民全体の賛同を得るのは難しいでしょう。
 それを許さないほどに価値観の多様化、経済優先主義が進行しています。そもそも、売買春だけを規制しているが、それ以外の性風俗営業はどう考えるのか。女性を道具として扱っているというが、男性が買われることについてはどうなのか。
 そのほか援助交際や性的交渉の低年齢化、性的表現の氾濫といった、現代社会特有の論点も生まれてくるものと思います。いずれにしても、価値観がこれほど多様化し、経済活動の自由が優先される社会では、売春そのものを根絶することは不可能でしょう。
 かといって性風俗を法律上積極的に容認することも現実には難しいでしょう。

★主な参考文献
・ 「風俗営業取締り」 著者 : 永井良和  出版社名 : 講談社
・風営法全般ついて、その歴史的経緯から詳細に書かれています。
・「ニッポン国策慰安婦」 著者 : 山田盟子 出版社名:光人社
・「歳月」 著者 司馬遼太郎  出版社:講談社文庫
・「内務省」 著者 百瀬孝  出版社:PHP文庫



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風営第1条 目的

  「善良の風俗と清浄な風俗環境を保持し、及び少年の健全な育成に障害を及ぼす行為を防止するため、風俗営業及び風俗関連営業について、営業時間、営業区域等を制限し及び年少者をこれらの営業営業所に立ち入らせること等を規制するとともに、風俗営業の健全化に資するため、その業務の適正化を促進する等の措置を講ずること」

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