終戦直後の都会では、日本の降伏を知るととともに女性たちが地方へ疎開する姿が見られました。占領軍が上陸した際には、日本人の婦女子はみな暴行陵辱されるに違いないと考えられ、行政によって疎開が指示されるとともに、占領軍の性的手当のためとして、直ちに慰安施設設置の準備がすすめられました。 日本では戦争の際には慰安婦を戦場に連れて行くことが公然と行われており、占領軍も同様に日本での性的処置が必要であると想像していたのだそうです。政府の命令で民間に設置されたRAA(Recreation and Amusement Association)が「大和撫子の純潔を守る」という掛け声のもとに集めた慰安婦5万人のうち、およそ3万人以上が、戦中に財産や家族を失って生活の道を立たれた女性たちで、彼女等の中には甘言に惑わされたり、人買いにさらわれたりして慰安婦に身を落とし、苛酷な労働に耐え切れず自殺する女性もいました。 ところが占領軍兵士の間に性病が蔓延したため、GHQは昭和21年1月に公娼廃止を政府に指示し、RAA施設への立ち入り禁止が命じられたため、慰安婦たちは突如街娼として働くはめになり、いっそうの困窮にさいなまれる結果となりました。 同年二月には娼妓取締規則が廃止され、一転して売春営業は警察犯処罰令に規定された密売淫行為として違法となりました。しかし、こういった動きを先読みしていた警視庁は、都下の娼妓営業者に対して特殊飲食店という名目での売春営業を黙認する手配をし、実際には特殊地域における売春営業はGHQの取締りを受けつつも存続しつづけたと言われます。 昭和21年11月14日の事務次官等会議において、「私娼の取締並びに発生の防止及び保護対策」と題する決定があり、売春営業を特殊飲食店として特殊地域に囲い込むという方策が決められました。その際に各地で特殊地域として改めて指定された区域が通称「赤線」と言われる区域です。 一方で、昭和23年5月に警察犯処罰令は廃止され、売春営業を取り締まる根拠法令が消滅しました。つまり、同年9月一日に風俗営業取締法が施行されるまでの間に売春営業を規制する法令の空白期間が生じたのです。 なお、風俗営業取締法は売春自体を直接禁止する仕組みではなく、売春の温床となりえる飲食店等の営業を許可制とする制度です。
※純喫茶という名称 〜 かつて飲食店という建前で売春営業が流行っていた時代には、このような店は「特殊喫茶」とか「社交喫茶」などと呼ばれていました。売春や性的行為に関係の無い喫茶店は、性風俗を行う喫茶店と区別する必要が生じ、「純喫茶」という名称を表示することがあったようです。
※戦後の慰安対策の結果として多くの混血児が生まれ、食糧難や差別に苦しみました。多くの混血児達を救ったサンダース・ホームについてご存知でしょうか。
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07/08/13 更新
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