著作権の基本その1 知的財産とは何だろう

知的財産とは何だろう

知的財産について考えるときは、「法律の知識」を覚えるよりも、皆さんの心の中にある原理(または原則や法則、常識)について考えてみた方が、ずっと理解しやすくなります。

私達は法律の知識がなくても「この世の中がどうあるべきか」を考える能力を持っています。
考える」ことは「疑問を持つ」ことから生まれます。何事にも疑問を持ち、ゼロから考えてみませんか?
将来は別の答えに変わるかもしれないけれど、今の自分はこう思う。私はそういう気分でこの文章をつくっています。

財産という言葉

私たちは「財産」という言葉をよく使いますが、「財産」とは何でしょう。ここで、私達がどんなときに「財産」という言葉を使っているのかを考えてみましょう。

あなたが海辺を歩いていると、波打ち際にきれいな貝殻が落ちていて、きれいだなあと思って拾ってしまいました。別に悪いことをしたは思いませんね。海に落ちていた貝殻は誰かの財産ではないし、それを持ち帰ったとしても誰も文句を言う人はいません。
さて、海を見ながらおにぎりを食べようと思い、手にしていた貝殻を足元に置きました。
すると、見知らぬ人が突然現れて、その貝殻をサッと手にとって走り去ってゆきました。
びっくりしたあなたは、「あっ! ドロボウ!」と叫んで
しまうかもしれません。
ドロボウとは「他人の財産を盗むこと」です。
いつの間にか貝殻財産になっていました。

貝殻

 

財産についてのふたつの原理

最初に海辺で拾おうとするまでは、貝殻は財産ではないし、それを持ち去っても悪いことではない、とあなたは判断しました。しかし、あなたが足元に置いた貝殻を他人に持ち去られたときは「盗まれた」、つまり「財産だ」と判断したのです。

ここであなたの心の中にあるふたつの原理(原則)のようなものがあることに気がつきます。

  1. 最初に何かを手に入れた人は、そのモノを「自分だけのもの」にできる。
  2. 他人が自分のものだと思って独占しているモノ(財産)は奪ってはならない。

多くの人は法律の知識に頼らなくとも、なんとなくこのように考えていて、これは「常識」のようなものかもしれません。しかし世の中にはこのような常識を無視する迷惑な人がいるものです。
人の財産を勝手に奪うような迷惑な人に対して、私達はどのように対処したらよいでしょう。

国家による財産の保護

あるモノを欲しがる人が一人だけなら問題はないのですが、欲しいと思う人がたくさんいると「争い」が起こります。しかし、自分の思うとおりにならないからといって暴力をふるうことは良くないことだ。これも皆さんの心の中にある常識や原理です。

そこで、国家の強制力、つまり権力というものに登場してもらいましょう。
国民は国家に対し、国民が各人の財産を独占する状態を保護させることにして
、そのために強い力(権力)を与えます。

もし財産について言い争いが起きたら、公平な第三者(裁判所)に判断してもらい、その判断にしたがって国家権力に動いてもらいましょう。このようにして財産の争いを防ぐことは、社会の安定のためにとても重要な仕組みのひとつです。

もしあなたが財産を他人にとられたら、「それを返してくれ」とか「損した分をつぐなってくれ」というあなたの請求を裁判所が認めてくれれば、国家権力があなたに代わって望みをかなえてくれるでしょう。

他人の財産を盗んだら窃盗罪、暴力で無理矢理に財産を奪ったら強盗罪、ウソをついて財産を手に入れたら詐欺罪、といったように刑罰も用意されています。

このようにして国家は、国民が財産を独占している状態を守ろうとします。この状態を私達は「財産権がある」と言っています。
このような仕組みがあるおかげで、国民は安心して労働し、財産を蓄え、暴力に頼らないで暮らすことができます。

物体ではなくても財産になれる時代

財産と人

人が「自分だけのものにしたい」と思うモノは「財産」と呼ばれ、人がその財産を独占することを国家権力が認めている状態では、その人は「財産権」という権利を持っているのだと言えます。

財産にはいろいろありますが、普通は不動産や宝石などのように物体として存在しています。
物体でないものは財産ではないという考え方は人類の歴史の中では一般的な考え方だったかもしれません。
しかし文明が発展すればするほど、物体以外のモノのやりとりが増え、価値が高まる傾向があります。

現代の日本社会でも、物体をつくる仕事より、情報やサービスを提供する仕事の割合が大きくなっています。
そのような社会では、他人の才能や努力を勝手に利用して利益を得ようとすることは「ずるいこと」「不公正」「タダのり」であるとして制限されるべきだと考えられるようになってきます。

言い換えれば、物体ではないモノ、たとえば、デザイン、メロディ、アイデア、商標、情報、なども、それを最初に手に入れた人のモノ、つまり「創造者の財産」として保護しようとする考えが強くなってきます。

これは<最初に手に入れた人は、そのモノを「自分だけのもの」にできる>という先ほどの原理に通じています。

こうして保護されるようになった「物体ではない財産」は「無体財産」と呼ばれます。人の才能や努力の成果を財産として認め合うべきだという思想はますます深まってゆくでしょう。

独占権を与えて無体財産を保護する

無体財産は宝石や不動産などと違い、隠したりカギをかけたりしても意味が無く、誰かに一度見られてしまえば記憶をもとに再現されてしまうので、簡単にその無体財産が他人に利用されてしまいます。

そこで、無体財産を権利として保護するために、無体財産をつくった人に利用の独占権を認め、もし誰かが利用したい場合には、独占権を持っている人から許諾をとらなければならない、という仕組みをつくります。

もし独占権を無視して利用しようとする迷惑な人がいれば、その人にはドロボウの場合と同じように責任を取ってもらうことになります。

民事責任と刑事責任

迷惑なことをした人に対して、国家権力を使って責任をとらせる方法は2種類あって、その一つが「被害者の損失をつぐなわせる」という方法で、もう一つは「刑罰を受けさせる」という方法です。

前者を民事責任、後者を刑事責任と言ったりします。民事責任の追及は、被害者が受けた損失を加害者につぐなわせることであり、ほとんどの場合は金銭的な支払という方法で納得されることになるでしょう。

刑事責任は社会が加害者に対して追及する責任です。国家は被害者を含めた社会全体を代表して犯罪者を処罰します。そのために犯罪の証拠を確保し容疑者を発見して刑事責任を科すことが警察や検察などの役割です。

現在の日本では民事と刑事の責任追及は別々に独立して行われます。(部分的に融合すべきだという意見もあります)民事責任と刑事責任

知的財産という言葉

「無体財産」よりも「知的財産」という言葉の方が良く使われています。

「知的財産」を<知的活動によってつくられた財産>という意味だとすると、商品のトレードマーク、タレントの名前やスタイルなどは、知的活動によってつくられたというよりは、努力や生まれ持った素質によってつくられたものだと思いますので、無体財産ではあるが知的財産ではない、というふうに考えることもできます。

しかし知的財産という言葉の方がなじみがありますから、無体財産と知的財産を区別しないで使うことのほうが多いようです。著作権は知的活動によってつくられますので知的財産であり、無体財産でもあります。

いろいろな無体財産の関係をおおざっぱに表にすると次のようになります。

無体財産権を示す図表

 

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