学校教育における著作権指導の重要性について

かつて、小中高校のうち約6割の学校が授業で著作権を取り上げているという統計がありました。

これはインターネットが普及してIT関係の授業が増加していることと関係していると思われます。

インターネット上で情報を発信できる年齢は徐々に低下しています。中学生なら少しパソコンに習熟していれば、ブログやSNSに情報を掲載できそうです。

ブログやSNSを見るのは互いに顔を知らない不特定多数の人々、つまり公衆です。

公衆に対して情報発信するということは、ほんの少し前の時代であれば非常に特殊な行為でした。

テレビ局や放送局、新聞社、出版物などを通してしか、公衆に対して情報を発信することはできなかった時代では、一般市民が著作権などの他人の権利を侵害できる可能性は極めて少ないものでした。

しかしインターネットの普及によって、誰でも日常生活の中で公衆に情報を発信できるようになりました。

公衆への情報発信は便利である反面、他人の権利を容易に侵害してしまう可能性を秘めていますから、情報発信者にはテレビ局や新聞社が行ってきた配慮と同等の慎重さを持つことが社会から求められます。

しかし、現実にインターネットで情報発信している人々の中で、テレビ局並みの知識と慎重さを持っている人がどの程度いるでしょうか。

精神的に未発達で、充分な判断力を持たない子供達(大人でも問題のある人はいますが)でも容易に権利を侵害でき、犯罪的行為を実行できてしまうのがインターネットの特徴です。

しかし、ネット社会になった以上は、社会人としてインターネットを利用させないではいられません。

社会に出る前にインターネットの利用の仕方をきちんと学習しておく必要があります。その中で特に重要な知識が著作権とプライバシーに関することです。

著作物とタレントの肖像は、若い世代にとって強い関心の対象となっているし、携帯カメラで容易に人を撮影できるからです。

 


著作権の指導方法

著作権を子供達に対して指導する方法については、次のようなものがあります。

1、文化庁が提供するツールを利用する。マンガ、パンフレット、アプリケーション等。
2、想像させる。具体的事例について話し合う。本などを読ませて感想を述べ合う。
3、体験させる。WEBを生徒達に作らせてみる。著作物の利用許諾を取らせてみる。

しかし統計によると、学校の先生方の本音としては、生徒に著作権を指導する前に、先生自身が充分な知識を持つ必要性の方が重大であると考えているようです。

その理由のひとつは、教える側が理解していなければならないという当たり前の理由のほかに、学校の先生自身が著作権を侵害してしまうことについての不安があるようです。

ここで念頭においていただきたいことは、学校で著作権指導が行われる場合に、ルールや法律を守ることが大事である、という点を強調して実施されていることが多いのではないかということです。

つまり、一般の市民や事業者の場合よりも、法律遵守の義務感が重くのしかかっているという現実があるのではないでしょうか。

ルールや法律を守ることは当然である、と多くの人は考えています。

それはそのとおりです。

しかし、実際に全ての法律を守って生活している人は意外と少ないものです。

そして、ルールや法律どおりの行いができなかった人に対して、それらの全てを批判することができるものでもありません。

これは、「ちょっとした油断でルール違反をしてしまうのは仕方がないなどというテーマではありません。ルールや法律だけでは物事を白と黒にはっきり分けられない場合がある、という問題です。

もしルールや法律があいまいで、善悪を明確に線引きできないのであれば、単純に「ルールや法律を守れ」と言ったところで、「それだけでは無責任だ」ということになります。

しかし学校では、白か黒かはっきりしないような指導は問題があるとされることが多いものです。

 


著作権法の知識だけで判断しがたいケース

学校内の合唱コンクールで生徒達が歌う楽曲の楽譜を先生が一冊購入しました。
その楽譜は20ページで10曲が掲載され、一冊2000円で書店で販売されていました。

実際に生徒達が歌う楽曲はそのうちの2曲です。
先生としては次の選択肢のいずれを選ぶべきでしょうか?

A 生徒の人数分を学校でコピーして生徒達に配布する<BR>

B 生徒各人で楽譜を購入させる

著作権法の第35条で、授業目的の複製は許諾なしにできるものと考える先生が多いと思います。そこで条文を以下に抜粋します。

第三十五条
学校その他の教育機関(営利を目的として設置されているものを除く。)において教育を担任する者及び授業を受ける者は、その授業の過程における使用に供することを目的とする場合には、必要と認められる限度において、公表された著作物を複製することができる。
ただし、当該著作物の種類及び用途並びにその複製の部数及び態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。

後半の但し書き部分が重要です。前半では、授業目的なら複製できる、と書かれていながら、但し書きによってあいまいな結論となっています。
当該著作物の種類、用途、複製の部数及び態様を元にして著作権者の利益を不当に害するかどうかを考えなければならないということです。

私の見解では「」、つまり生徒各人が楽譜を購入することが著作権法第35条の趣旨に沿う判断であると考えています。
理由として思いつくものを以下にあげてみます。

①合唱コンクール用に編曲されたメロディとしての音楽の著作物は、その利用者の多くが学校であり、もし学校で自由に複製されてしまった場合には、著作権者が充分に経済的見返りを確保できるとは考えにくい。

②楽譜は書店で販売されており、有償で購入されることが出版の前提となっている。

③もし大勢でコピーしてしまったら、売上が減少し、楽譜の単価は高額にならざるを得ないが、その負担は最初に購入した人だけが負うことになる。

④合唱において楽譜を複製することの必然性は、著作権者が受ける経済的損失よりも重大であるとは思われない。たとえ10曲のうちの2曲しか利用しないのだとして、もともと10曲全部を利用するような合唱コンクールがありえない以上は、部分的な使用であることはやむをえない複製であるとは言えない。

 


大事なことはバランス感覚

以上の見解には異論があると思いますが、問題は、このように意見がわかれてしまうという現実です。

先生方によっても意見が分かれるでしょうし、生徒や父兄が判断しても結論は統一できないでしょう。

このようなとき、自分にとって、より厳しい方の判断をしておけば責任を追及される可能性はかなり減るわけですが、それが真実に正しいというわけではなく、ただ保身のことを配慮した結果と見ることもできます。

著作権法は、このようにあいまいな表現をしている場合が多く、最終的には現場の判断に任せてしまっているのです。

法律でさえはっきり答えない部分なのですから、明確な回答は裁判でもしない限り出てこない、という場合がいくらでもあります。

これは法律に不備があるということではなく、事柄の性質上やむをえないというか、むしろ当然というべきかもしれません。

重要なことはエライ人が決めたとおりに行えばよいと単純に考えている人にとっては受け入れがたいものでしょう。

学校の状況に関わりなく、日本社会はアメリカ的な市民社会に確実に近づいているところです。ビジネスの現場では「事後チェック型社会」、つまり自分で判断し後で自分が責任を取る、という社会に対応しつつあるのです。

あらかじめ決められたルールのとおりに実行すれば問題は生じない、という発想がすでに成り立たなくなりつつあります。

ですので、学校では権限と責任を明確にする工夫が重要になるだろうと思います。

となると、著作権指導で重要なことは単純に「ルールを守れ」ということではない、ということです。

だからといって、ルールを無視してよいということではありません

もし「ルールを守れ」と厳しく言うならば、「じゃあ先生は100%守っていますか?」と言われたときに、きちんと説明し納得を得られる能力が必要となります。

 


どのような対応が理想的か

これについては私の偏見でもあるし、勝手な解釈でもありますが、私は、「最終的に全ての人間から納得を得られればそれでよい」と考えています。

だから、全ての人から(現実には9割でも充分でしょう)納得を得られるように上手に説得をすればよいと考えます。

「ルールや法律を守っている」という事は、他人から納得を得るうえで重要な説得材料の一つですが、必ずしも不可欠な説得材料ではありません。

たとえ法律に違反していなくても反感を買うことがあります。

著作物ではない他人のアイデアを芸のネタに使ったとか、著名なマンガのタイトルを勝手に商標登録したとか、海水浴の水着写真を無断で撮影したとか。

こういった行為は法律違反であるとはいいきれないのですが、記者会見で謝罪させられたり、ボイコット運動に発展したりして後悔した事例はたくさんあります。

また、法律に形式上違反していても、誰も問題にしないこともよくあります。

たとえば学校の職員研修の資料として気になったホームページの情報を印刷したとか、自分の自転車にアンパンマンの絵を手描きで描いたとかいったことは、著作権法を単純にあてはめてしまうと法律違反になってしまいますが、誰もとがめないでしょう。

法律を現実に適応できない場面はたくさんありますし、そういう場合に法律を修正することは国民にとって大事なことです。

つまり、法律違反かどうかという点だけで世間は判断していないので、それ以外の要素を総合的に考えて判断しないと問題は発生するということです。

全ての人が納得していれば、たとえ法律違反であっても批判されないし、納得されなければたとえ合法的な行為であってもトラブルのモトになるのです。

ですので、法律知識だけでなく、人を説得できる力が重要です。

さらに付け加えるなら、日頃の行いも大切です。

どんなに手堅い理論であっても、それをしゃべっている人間が人格的に信頼されていないのであれば、それを聞いている人は納得しないものです。

逆に、日頃の行いが立派で多くの人から信頼されている人の一言は、たとえ理論として緻密でなくても重く扱われるものです。

納得」「説得」「人徳」。「この3つのトク」を意識して生活することが、トラブルを予防し、または解決する上でとても重要だと思います。

普段からいい加減なことをしておきながら、「すぐに使えそうな知識」とか「専門家や行政の権威」とか、そういったものを頼りにしたり、大義名分にしている人は、実際には全く救いようがないと私は思っています。

著作権指導が法律知識の丸暗記になってしまうと、その結果、重大な勘違いをする人が増えてしまいます。

実際のところ、法や法律の基本的な部分について重大な誤解をしている人が多いことの原因の一つは、やむをえないこととは言え、学校の教育指導にあると思っています。

決まっていることをひたすら守ることが「法を守ること」だという発想が、すでに時代遅れであることは企業社会ではかなり理解されてきていると思います。

経営者が労働現場に「ルールを守れ」と命令するだけでは不祥事は防止できません。

人間社会の本質をよく分析して、現場からも納得される体制をつくらなければならないのです。

著作権指導の意義は、覚えることよりも考えることだと思います。

考えて判断し、その判断について異論があるなら説得し納得されればよい。

このような考えで著作権指導をしていただけば、実は著作権の分野に限らない広い意味の学習に結びつくことになるでしょう。

要するに、知識よりも日頃の心がけが大事なのだということを私は申し上げたいのです。


覚えるよりも考える授業を

以上のとおりで、私はルールや法律を守ることの大切さよりも、目の前にいない誰かの立場について考えることを重視していただきたいと思います。

普通の学校の授業は、すでに存在する答えを信じさせる授業が多いようですが、著作権指導では「疑わせる」授業が望ましいと思います。

著作物を利用したいのに、著作権法が邪魔で利用できないのはおかしい。

こういう感覚を持つ人は非常に多いのですが、著作物を創作した人たちの立場を真剣に考えれば、そのような考えは修正されてしまうでしょう。

今の自分の感覚や判断は、もしかすると間違っているかもしれない。そう思った瞬間に、人間は考え始め、情報を集め、自分なりの判断をし、それについて責任を取ります。

それができるかどうかが、一人前かどうか、にかかわってくると思います。

世の中はいろいろな利害関係で複雑に絡み合っているのが現実だから、それをじっくり見つめることから逃げ出さないで、正面から向き合ってゆくことが大人になるということなのだと思います。

著作権指導の方法には何通りもあると思いますが、このような考え方もあるのだということを念頭において実践していただければありがたいと思います。