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著作権の歴史
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| ◆世界最古の壁画
南フランスや北イタリアでは、3万年以上も前の洞窟壁画が発見されています。オーストラリアのカカドゥ国立公園には、3万5000年以上も前と思われる壁画があるそうです。 すぐれた芸術作品(著作物)は、人類の歴史とともに古くから作られていたのです。
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◆著作権のはじまりは出版物の規制 すぐれた著作物は相当古い時代からたくさんありましたが、それを大量につくるとなると、とても難しい問題でした。大量生産の必要性は特に経典や聖書など宗教的な書物から始まったようです。法隆寺にある「百万塔陀羅尼経」は、現存する印刷部の中でも最古の部類に入ると言われています。
活字印刷技術の歴史では、かつて東洋の方が一歩先んじていたようですが、15世紀にドイツのグーテンベルグが活版印刷機を発明したことにより、聖書がヨーロッパ社会に普及したことが、その後の歴史に与えた影響は大きいものでした。 http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/todays_goods/17139.html
その後、大量印刷が可能になると、出版物の海賊版が出回るようになり、これを規制する試みが始まりました。イギリスではアン女王により1710年に版権保護の法律が定められ、その後、デンマーク、アメリカ、フランスなどでも出版に関する法律が制定されました。
著作権に関する国際的な法整備が充分でなかった状況を改善するため、フランスの作家ビクトル・ユーゴー(作「レ・ミゼラブル」など)などが中心になって国際的な著作権保護の運動が活発となりました。そして、1886年スイスのベルンで各国の代表者が集まり、ヨーロッパ各国が参加する国際的な著作権保護条約が結ばれました。これをベルヌ条約といい、翌1887年に条約は発効しました。
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◆ベルヌ条約の原則 ベルヌ条約で重要なポイントは次の3つの原則です。
その後問題になったのは、アメリカ諸国が加盟しないことでした。アメリカは中南米諸国とパン・アメリカン条約を結んでいましたが、これらの国は方式主義を採用していたのです。つまり、これらの国では、著作権が保護されるには法律に定められた特定の手続が必要でした。方式主義と無方式主義という、著作権の発生の方式が異なれば、国際的な著作権の保護が円滑にすすみません。そこで、1952年、スイスのジュネーブで万国著作権条約が成立し、3つの重要な取り決めがなされました。 |
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◆万国著作権条約の3つのとりきめ 〜 Cマークの始まり
〜 これは、無方式主義を採用しているベルヌ条約加盟国の著作物であっても、Cマーク・著作者・発行年月日を適当な場所に表記することにより、方式主義の国において保護を受けられるという制度です。 現在ではアメリカをはじめとするほとんどの方式主義の国が無方式主義へと変わったので、Cマークを定めた万国著作権条約の意義は薄れてしまいました。しかし、Cマークは今では世界中で定着しており、著作権の存在を主張することに役立っています。Cマークの表記があれば、著作権を侵害した者が、著作権の存在を知らなかったなどと言い訳しにくいでしょう。
※著作権関連法令(CRICのサイトより)
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| ◆明治日本と著作権
日本はベルヌ条約に、早くも1899年に加盟しています。一日も早く欧米列強と方を並べたかった日本は、ベルヌ条約加盟と引き換えに不平等条約の改正撤廃を実現したかったのです。国家的面子と著作権保護が引き換えとなりました。しかし、西洋文明を一方的に受け入れつつある当時の日本にとっては、外国著作物の保護は大きな難事でした。その後ヨーロッパ人が音楽著作権を主張して、プラーゲ旋風が吹き荒れたとき、著作権意識が薄い日本人はとまどい混乱します。 |
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